
ショーペンハウアー『自殺について』の考察|なぜ自殺は悪いのか
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今回は、岩波文庫の『自殺について 他四篇』から「自殺について」の箇所のみで考察してみました。読むだけでも労力がいるのですが、全部で8ページしかなかったのでギリギリ体力が持ちました、、。
哲学初心者ですが、内容をわかりやすく捉えて、かつより深く掘り下げてみたいと思います。

①宗教の「自殺の考え方」
- ユダヤ教、、、犯罪
- キリスト教、、、良くない
- 仏教、、、良くない
でも、旧約聖書や新約聖書には自殺を禁じる言葉はない。
つまり自殺に関する議論はまだまだ足りず、考え方が定まっていないということになる。
だから人間は自殺に対して、憎悪の感情を強めることで議論を補おうとしている。
(例:自殺は良くないとやみくもに主張する/精神錯乱の状態なら可能であると主張する)
★定められてきたわけではないのに、宗教は自殺を禁じている。自殺に対して良くないという感情で議論を進めているに過ぎない。と解釈しました。確かに、なぜ良くないかは答えられる人はなかなかいません。しかも世の中の雰囲気的に「自殺は良くない」という風潮があります。
②裁判をしたらどうか?
自殺者の裁判をしたなら、精神錯乱の判決を下すのではないか?
それは正しいのか?
「自殺は犯罪であるかどうか」について、裁判をしてみよう。
刑法は、罰則によって自殺を禁じている。
まずは殺人と自殺の違いを考える。
殺人、、、
- 他人を傷つける
- 見るものに怒り、復讐の感情を起こさせる
自殺、、、
- 自分を傷つける
- 見るものに哀愁、同情の感情を起こさせる
殺人に対しては否定的だが、自殺に対しては否定しない。
自殺を罰するのは、倫理的に否認するためではなく、むしろ褒め称えている。
犯罪とみなすのはおかしい。
では、
⑴自殺を思いとどまらせることへの刑罰はあり得るか?
⑵自殺に失敗した人は罰せられるのか?
⑴は、この世界ではありえない。(自殺を肯定的に捉える世界になれば、自殺を止めることが罪になる)
⑵は、自殺自体を罰するのではなく、失敗した不手際を罰することになる。
★「自殺はいいか悪いか」を裁判またはディスカッションしてみようと投げかけていました。私は「いい」の立場に立つと思いますが、その理由を具体的に述べるのは難しいです。ここでは、殺人に対しての感情と自殺に対しての感情が違う、自殺に対してはむしろ褒め称えているから、犯罪ではない。と主張しています。殺人に関する善悪はここでは説いてはいません。自殺に関して犯罪にはならないと主張しています。確かに、犯罪についての善悪も曖昧な部分があると感じる時があります。殺人もものすごい侮辱をされたからという理由と誰でもよかったという理由では罪の重さが違います。罪も罰も人間が決めたことだから、どこにも善悪の判断は存在しないのではないかと思います。その点で、犯罪を超えて自殺を捉えると肯定される気がします。

③さまざまな人の死の解釈
○プリニウス(古代ローマの博物学者)、、、「自然が与えてくれた賜物、自分自身で死を選ぶことができるのは最上のことだ」
○ストア学派(禁欲主義的な考えを持つ学派)、、、自殺は英雄的行為
○キリスト教、、、苦悩が人生の目的であるから自殺は排斥すべき
★他にもシェイクスピアなども紹介されていました。死については肯定的に捉える人もいれば否定的な人もいる。特に宗教意識が強い人は肯定しているイメージで、より狭い学派的な場所や個人で唱えている人は肯定的に捉えている印象を受けました。
④キリスト教や仏教の考えが浸透しない理由
- キリスト教、、苦悩が人生の目的であるから自殺は排斥すべき
- 仏教、、自殺は良くない
と唱えているにもかかわらず、聖書によっても論拠によっても支持されていない。
自殺は神に対して失礼だから。ではないか?
★大学でキリスト教の死生観を学んでいます。そこで、神が肯定的に与えてくれた命を自ら放棄してはいけないという考え方を学びました。日々の苦しみを救ってくれるので、生きるためには必要な考え方だと実感するとともに、耐えられない(救いきれない)ときがきたときには、個人的には死を選んでしまう気もしました。
⑤なぜ自殺はいけないのか?
○死の恐怖があるから。
死の恐怖=肉体の破壊
(生きようとする意思を表すのが体であるから、生きようとする意思に反して肉体が破壊されるのが怖い)
○精神的な苦痛が肉体の崩壊の恐怖をなくす
(例:うつ病などの精神疾患を患っている人は死の恐怖を感じない)
★普通に生きようとしている時に急に災害などで死が迫った時を想像すると死の恐怖を感じます。心の動きは見えないから、恐怖という形で体に現れるところは納得しました。あとは精神的に苦しい時には死に対して何も感じないというのも良く理解できました。
⑥自殺=「一種の実験」である
死によって人間の認識がどのように変化するか
でも、人を殺してしまうから無理な話である。
★1番最後に書かれている言葉です。自殺について、議論を交わすためには実験をして研究を進める必要がある。科学の進歩も医療も実験があって進歩してきました。でも自殺は実験のために人を殺さないといけない、また人を殺しても意識の変化は見ることができない、だから議論がむずかしいということを言っているのだと思いました。死については生きている人でしか議論できず、その制約の中でできることを進めていこうという決意にもなりうると思います。
紹介されている本
自殺反対に対する反駁(はんばく:論じ返すこと)をした本として2冊紹介されている。
ヒューム『自殺に関する試論』
バーゼル「故デイヴィッド・ヒューム著『自殺と霊魂不滅に関する試論』」

まとめ
本の内容を自分なりに解釈したものをまとめ、さらに自分の意見や具体的な例を付け加えて考察しました。
あくまで、個人的な解説ですので、間違えていたりしたらすみません。
自殺について、興味があったため、この本を手に取りました。
宗教や刑罰でなぜ自殺が否定されているかを理解することができました。
自殺に関して、肯定的になることはまだ厳しいと思いますが、安楽死などの問題を考える際に必要な知識だと思います。
私は相手の死に対して、誰かが口を出してもいいのかと考えているので、もっと死に対して簡単に考えてもいいのではないかと思っています。
宗教の影響や意識があまりない日本と宗教が根付いた他国でまた捉え方も異なると思いますが、宗教は人を救うためにあると思うので、もし救われなさそうな場合はその考えから離脱してもいいように柔軟に考えられるようになっていくといいのかなと考えたりもしました。
研究者でもないので、詳しく議論はできないですが、色々な人が自分の死について考え直すいいきっかけになる本だと思います。
他にも3篇あるので、また考察してみたいと思います。
参考
『自殺について 他四篇』ショウペンハウエル著、齋藤信治訳、岩波文庫、2012年10月25日発行
p73〜81を参考にしました。
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