
感想『デミアン』ヘルマン・ヘッセ|“成長”とは|たまごの比喩|自分自身に達する
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ヘルマン・ヘッセの『デミアン』を読みました。
内容自体が難しいのと、文を理解するのも難しい作品でした。
ですが、考えごたえのある、哲学的な、素敵な作品だったので、自分なりに考察してみます。

①簡単なあらすじ
ジンクレールは、2つの世界を意識する。家族と宗教の影響を受けた「善」の世界とそこから一歩出た先にある噂話や殺人の横行する「悪」の世界。
そんなとき、デミアンに出会い、デミアンの大人びた考え方に刺激を受ける。
大人になって、デミアンに再会する。そこでジンクレールは、世の中の変化に気づいていく。
②この物語のテーマは?
私は、「人生とは自分自身に達することである」というメッセージだと思いました。
ジンクレールは、悪の世界に足を踏み入れるようになり、そこにいる友人に合わせるようになります。同調しなければいじめられるからです。そこで自分を偽り、母親を偽り、苦しみます。
悪というのは、自分が勝手に決めた概念です。
或いは親の教育や宗教の影響で、悪が定義されるかもしれません。
多くの人間はそこで立ち止まります。
死ぬまで、周囲を気にして悩んだり、辛いルールの中で生きています。
でも、善と悪を超越し、自分自身を捉えてみようとすれば、自分自身に達することができるかもしれません。
自分の善と悪の思考の全てを受け入れ、自分の感情を素直にさらけ出して生きることです。
そんな人生の教訓があると感じました。
③たまごの比喩
この小説の中に、「鳥はたまごから出ようとする。たまごは世界。生まれるためには一つの世界を破壊しなければならない。」というような言葉を書いています。
これはアプラクサスという神の例えになっています。
アプラクサスは、善と悪を同時に存在させることができる唯一の存在です。
普通、創造と破壊は同時に存在することはできないと考えます。
でもアプラクサスならできます。破壊と共に、新たな世界を創造することができるということです。
ジンクレールは、善と悪の世界を区別して生きています。そう捉えているから苦しんでいます。でも、この比喩が言いたいのは、善と悪という考えを同時に存在させ、自分自身を探求することを目指せということです。
悪を意識するから、自分を偽る。それならば善悪を超越して、善と悪を含めた全ての自分を見つけ出す方がいい。
人間が目指すべきは、アプラクサスのような考えを持つものであるということです。

③伏線1:カインの比喩
幼少時代、デミアンはカインの話を持ち出しました。
授業で習った話に対して、自分なりの解釈を説明します。
それは、アベルを殺したカインの子供達は印を持っていて気味悪がられている。でもそれは勇気を持っている人の印なのだということでした。
そしてその解釈を大人になって再会した時に、持ち出します。
あの印は、目覚めたものの印だと言います。
自分の道を探り始めたものの印だということです。
デミアンはジンクレールがアプラクサスの考えに導かれ始めたことに気づいたということだと考えられます。
デミアンは子供の頃から、自分自身に達するよう生きてきました。
デミアンは、ジンクレールにその印を見て、自分と似ていることを感じます。
ジンクレールがこれから成長していくことを示唆しているとわかります。
③伏線2:デミアンの孤独
デミアンは子供の頃から孤独でした。
自分の意見をもち、知識をもち、同調しない生き方が、周りを寄せ付けなかったのでしょうか?
デミアンは、一人、自分自身の探求をし始めていたため、異端・変人に思われていました。
でもそれを救ったのが、ジンクレールでした。
デミアンは自分と似ている部分を感じ、ジンクレールは彼の孤独を救うのでした。
「自分自身に達するということ=孤独」になってしまうのかもしれません。
周りに同調しないことは、嫌われたり煙たがられることが多いからです。
でもそれを恐れずに生きることが大切なのだとわかります。
④戦争の予感
最後のシーンは、この世界の崩壊がはじまっているというシーンになります。
当時の状況を考えると第一次世界大戦のことを書いていると思われます。
そしてその戦争は、崩壊であると共に創造の始まりでもあるということを最後に述べたと考えられます。
⑤全体の感想
最初、この作品で1番印象に残ったのは「たまごの比喩」でした。
「成長するためには、殻を破る勇気が必要だ」と解釈し、この小説がそのテーマを扱っていると理解しました。
あらためて読み返すと、それよりも深いテーマに辿り着きました。
ジンクレールの善と悪の世界が、成長するにつれて善と悪が同時に存在する世界に変わる時、「この本は単なる成長の物語ではなくて、人間の在り方を書いているのだな」と考えるようになりました。
成長は、人生において、ただ知識をつけたり、幸せを見つけるものではないのかもしれないと気づきました。
それよりも、「自分自身に達する」というより難しい、けれど重要な目的があると思います。
それは、世の中の常識にとらわれず、自分自身で行動・選択をし、感情に従い、孤独を恐れないことだと解釈しました。
幼少期のデミアンの姿は、すごくかっこよくて憧れを抱きました。
ジンクレールにとって、そのデミアンの姿がアプラクサスなら、やはり「自分自身に達した、達しようとする」人間は魅力があるのだと思います。

⑥その他の解釈
色々な解釈を聞いたり、読んだりする中で、面白いものやより考えさせられるものがあったので、それについても少し考えて見たいと思います。
- デミアンはジンクレールが見ていた虚像である
これは、デミアンが最後いなくなるシーンやデミアンの達観した生き方がそう感じさせるようです。
私は難解過ぎて、そこまで読み取れないのですが、デミアンがジンクレールを導いたと解釈できます。
デミアンの描写が、人間らしくなく、また謎めいていることも関係してきそうです。
この視点からもまた読んでみたいと思いました。
- 一目惚れした女性の絵を描いたら、デミアンだった
これもはじめ読んだときは意味がわからなかったのですが、「自分の理想像がデミアンだった」と気づくという解釈ができます。
⑦最後に
この作品は、読めば読むほど色々な考えが思い浮かぶ作品だと思います。
それぞれの解釈が出てくると思うし、人生の教訓として心に根付くものでもあると思います。
様々なセリフを細かく読み解いていく価値もあるので、私は何度も読み返して考えを深めていきたいです。
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