
イランとアメリカの関係を分かりやすく!|イラン・イスラム革命|アメリカ核合意離脱
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1979年 イラン・イスラム革命
アメリカはイランが親米なことを利用して、原油の利権を確保しようとしました。するとイランの国民は不満を持ち始めます「イランの原油は渡さないぞ!」
そして、ついに親米政権が倒されたのです。これが「イラン・イスラム革命」です。
1979年 アメリカ大使館占拠事件
そして同年1979年に「アメリカ大使館占拠事件」がありました。これはイランの若者たちがアメリカ大使館を444日も占拠したという事件です。つまり「アメリカの象徴である大使館を狙えー!」と大使館に突入したいうことです。
アメリカのカーター大統領はこのことが原因で次の大統領選挙に勝てなかったとも言われているんです。
2002年 イラン「核兵器」開発疑惑
アメリカ大使館選挙事件が起きてから約40年間、イランとアメリカは国交を断絶していました。つまり1979年からイランとアメリカの関係は悪かったということになります。
そして2002年、イランが核兵器を開発しているのでは?という疑惑が浮上しました。イラン側は、「原子力発電所の核燃料をつくるためです!!」と主張します。なぜイランの核兵器開発が目を付けられたかというと、イランが核兵器を持つことでイランと対立する国が「イランが作っているなら私たちも核を持つぞー!!」となる恐れがあるからです。核兵器を持つ国が増えることは、平和な世界とは言えません。
アメリカの経済制裁スタート
イランは天然資源(原油など)輸出しています。アメリカはイランの天然資源を輸出できないようにしたんです。例えば、日本がイランから原油を買った場合、「日本に不利益を課します」ということです。
2015年 イラン核合意
アメリカの経済制裁によって、イランの経済は深く落ち込みました。そして2009年アメリカでオバマ政権が誕生します。彼は「中東は大事だから、安定を目指そう!」と言って、イランとアメリカは交渉を始めました。これが2015年「イラン核合意」として成立します。これは核開発の制限や国際原子力機関の権限を拡大するものです。
2018年5月8日 アメリカ核合意離脱
イランは核合意を守っていました。しかし2017年にトランプ大統領へ変わると、トランプ大統領は「合意は欠陥だらけだ」と、ほぼ一方的に離脱したような状態になりました。
もちろんイランは反発。さらにアメリカは、核合意から離脱したことで、イランに制裁を始めたのです。イランは信用できないから、経済的な制裁に加えて、空母や爆撃機で軍事的な圧力も加えようと考えたのです。もともとイランの大統領は穏健派でしたが、核合意がだめになったことで、「アメリカは信用ならない」という強硬派の意見が出てきました。
これが今のイラン対アメリカです。
まとめ
- 1979年のイラン・イスラム革命、アメリカ大使館占拠事件、、、アメリカがイランの原油を確保しようと企んだことで、イランの親米政権が崩れた。
- 「イランが核兵器を開発している」という疑惑でイランとアメリカは対立。アメリカ経済制裁を与える。
- オバマ政権下で核合意がされたものの、トランプ政権下で一方的に離脱。再び制裁を始める。
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